1997年

釣り人を太公望という。

紀元前11世紀ごろ、渭水をとおりかかった周の王、文王が針を付けずに釣りをしている人物にどうして針を付けないのかを訊ねたところ、私は軍略を考えているのだと答え、これがきっかけで「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と文王が周の軍師に抜擢したという。この人物が、後に斉の始祖。姓を姜、名を望といい姜太公とも呼ばれる。この伝説は、日本の江戸時代の人々にも広く知られていたようで、この故事にちなみ、日本では釣り好きを「太公望」と呼ようになったらしい。最も中国では「太公望の魚釣り」と言うと、「下手の横好き」と言う意味らしいが。

ところでこの姜の望の釣りで、針を付けて無かったとか、真直ぐな針は付けていたとか、いや針は付けてたけど餌を付けていなかったのだとか色々諸説があるようである。しかし、釣りのポーズをしていたのだから川に魚はいたはずで、では姜の望はどんな魚を想定していたのか?

西安からバスで約45分、宝鶏(バオジ)という街につく、そこからタクシーで約1時間で渭水のほとり姜の望が釣りをしていたという釣魚台という場所に着く。日本からわざわざヘラ竿を抱え、何時間も費やして着いた釣魚台。ところが川に水がないのである。しかも一帯は公園になっていた。これではどんな魚がいたのか分かりようもない。なんでも上流にダムができたらしい。最も、もし水があったとしても望の時代と現在では環境が大きく変わっていて、当時の魚はいないだろう。紀元前11世紀ごろのこの渭水周辺は緑豊かであったという。しかし、今は周辺は砂漠化が進み、黄色い大地が周囲に迫って来ている。下流の水量のある場所では水は黄色く濁り、釣りの条件からはほど遠いのだ。かつて、横井庄一さんはグアムのジャングルでどんな魚を食べていたのか知りたくて現地にいったのだが、そこも公園になっていて入場料をとっていたという経験がある。残念。

 
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